母の背中

子どもを習い事に送迎する。夕方の下り線は今日も大渋滞。30分のレッスンに2時間以上の送迎時間になってしまうこともよくある。仕事を早めに切り上げ割いた子どもと過ごす貴重な時間…のはずが苛立ちながら過ごす不毛な時間に。やがて、子どもはウトウト…。私の焦りとは裏腹に安心しきった寝顔へ。
そのときふと、私の母の背中を思い出した。車を運転しない母はいつも自転車の後ろに私を乗せ、隣の駅にある学習塾に送迎してくれた。当時小学6年生の私にはもちろんひとりで歩いて行ける距離であったが、「帰りは暗くなるし、こちらの方が早いから」と、週2回片道20分、自転車を走らせてくれた。そして、授業が早く終わっても、遅くなっても塾を出ると、必ず母が私を待っていた。自転車の後ろは風の音と街の騒音に言葉がかき消され、母子の会話はほとんどない。当時は快適な子どもシートはなく、私は荷台にまたがって、ただ母の背中にしがみついていた。
「あなたは手がかからなかった。自分で勉強してくれた」と、よく母に言われてきた。「そう、自分の力で試験に受かって希望の学校に入学したの」。私はずっとそう思い生きてきた。でも、それはちがっていた。母と家族が私が勉強するための時間をつくってくれていたのだ。通塾をはじめ、いろいろな生活にかかる時間を10分でも20分でも短縮させる努力をしてくれ、姉妹は受験生がいるからとイベントや旅行を我慢してくれていた。私はそんな当たり前のことに気づかなかった。いや、母が気づかないように配慮してくれていたのだ。
わが子の寝息を背後に感じながら、そんなことを思った。母は2年前に足を痛め、もう自転車に乗ることはないだろう。でも私は自転車の後ろでしがみついた母の背中をずっと忘れることはない。

文・関千里 絵・田上千晶


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