捨てる理由も、捨てられない理由も。

今日もまた、家の中を見渡して思う。これはすごい有様だ…と。1日でこんなに散らかったわけではない。さあ、どこから手をつけるか。またしても「いる」「いらない」の作業をせねば…。
「片付け」はレギュラーテーマ。片付け系実用書はニーズがなくなることがないし、みんなも「いる」「いらない」の禅問答を欲してるのかもしれない。片付けは改めて自分と向き合い、「これまでの自分」「こうしたい自分」について考えるから。
 「これまでの自分」の考えや行動は形になって残っていないが、これまでに自分が選択したモノは残っている。100円のものであっても、破壊されなければずっと残る。きっと自分が死んだ後も。モノを手に取るたびにこれまでの自分に向き合うことができる。
 そんなモノたちを処分し、片付けたとして、これからの自分は何をしたいのか。片付ける前がダメな自分で、片付け後がいい自分で、そこからはずっといい自分でいられるのか。そんなことない。古いものをどんどん捨てて行っても、すっきりとした空間と心に価値を更新してくれるものばかりが訪れてきてくれるとは限らないだろう。きっと、人生の幕切れまで、こうやって片付けについて考えながら生きて行くんだろうな。


 なんて、ぶつぶつ言っている自分に、「とりあえず、最低限散らかったものだけは片付けてから考えごとしてよね」と、家族が苦言を呈する。

 文・関千里 絵・田上千晶


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