一生コート整備

昨日も今日も、そして明日もコート整備。小中学生からテニス経験者が多い体育会テニス部に初心者で入部してしまった私はずっとノンレギュラー。20歳前後の3年間をひたすらコート整備とボール拾いをして過ごしていた。休みは雨の日だけ。コートの土が剥がれていたら、他から土を運んで水を加えながら手で補修する。雪の日などはスポンジで水分を取りながら整備していく。根気の必要な地味な作業だ。3面分の広い平面の1点にしゃがみ、長時間土と格闘。ふと顔を上げると、コート脇の土手で楽しそうにはしゃぐ男女の学生たちの姿が。その上に広がる青空があまりに大きくて、「自分、20歳にもなって何やってんだろ」と、何とも言えない空虚感に苛まれた。そして思った「大人になったらきっと自分が輝ける仕事をしよう」と。もうすでに大人の年齢だったけど。
 そう誓った通り、「自分が輝く」ために一生懸命仕事をした。体育会時代の生活も大変だったけど、社会人の生活はもっともっと大変だった。でも、自分の欲に従い、がむしゃらに過ごして、20年以上もの時が流れた。
 そして今。自分を振り返って思うことは、その後もずっと「コート整備をしていた」ということ。「仕事」というものはどんなものでも、誰かの役に立つためだったり、誰かを喜ばせるためものだということを知った。自分は広い広い社会の一部分を自分なりに整えていただけなのかもしれない。でも、それでいい。もし、自分が輝いて幸せを感じたとしてもそれはひとときのこと。次の世代の人たちを輝かせるための仕事ができたとしたらその喜びは自分がいなくなった後もずっと続く。だから思う。今、できるだけ「いいコート整備」をしなくっちゃ、と。

 文・関千里 絵・田上千晶








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